6-4.私のなかの苦しみ

日常生活を送る中で、人間には煩悩という感情がつきまといます。煩悩とは慢心や怒り、悲しみ、迷いなどの感情です。

それらの感情が発生するに伴い、何かしらの観念が生じ、それが思考や行動の起点となります。私たちは通常、自分自身の思考や行動を意識することが出来ますが、その前段階の感情や観念による支配については、気づかないまま過ごしています。

自分が怒っているとか悲しんでいるといった感情の動きは、思考する段階になってから自覚することはあっても、実際にはそれより前の段階から心を支配しています。

苦しみの根源

苦しみは外部環境に根源がある訳ではありません。生活を取り巻く様々な出来事が苦しみをもたらすと思われがちですが、それは苦しみを発生させるトリガーに過ぎません。

苦しみの根源は人の中に存在します。「私」という自意識のなかに浮かび上がる煩悩が私たちを苦しめています。もっと遡れば、過去の経験が記憶から引き出され、それが煩悩へと変化し、私たちを苦しめます。

それでも感情はなくならない

苦しみが記憶というカルマと、カルマにより発動される不快感、感情、観念によるものだとしても、やはり人間である以上、それらの心の動きを排除することはできないでしょう。

排除するからには脳に刻み込まれた本能的なプログラムをリセットしなければなりません(もしかしたら遺伝子のリセットも、いつの日か可能になるかもしれませんが・・・・)。

人間が感情を持たずに生きることは不可能です。観念を完璧に排除するなど出来るはずがありません。少なくとも悟りの境地に行き着いたことのない私にはそう思えます。

では、どうすればいいのでしょうか?

人間である限り誰でも怒ることはります。欲望も迷いも、慢心も悲しみも、どうしても内外の刺激に応じ発生してしまいます。

それが本能に組み込まれたプログラムです。

感情が動けば、それに伴い様々な観念が浮かび上がります。とても厄介なことに、同じような感情や観念が出現すればするほど、それが強く記憶されてしまします。そして、記憶として刻み込まれる度に、同様の感情や観念が記憶から引き出される頻度も高くなります。

「業が深まる」とは、正にこのことを差します。次第に心を浄化し苦しみを減らすことが難しくなってしまいます。

怒りやすい人ほど怒りのカルマが強くなる

例えば、怒りっぽい人は、事あるごとに腹を立て、文句を言い、誰かを攻撃してしまいます。最初は一時的な反応だったのかもしれませんが、繰り返される度に、その人自身の性格や人格として定着してしまいます。

怒りにより心の平穏さが失われ苦しむのは当の本人です。でも、怒りの感情エネルギーはとても強力で、現実を忘れさせるほどの作用があるため、苦しいという実感が隠されてしまいます。苦しみに気づきづらくなっているだけで、本当はとても苦しんでいるのですが。

苦しみからの逃げ場はないのでしょうか

感情的な経験を積めば積むほど、雪だるま式にカルマの影響力は増大します。苦しみの深度はより一層深まります。本人も苦しみますし、他人へも不快な思いをさせてしまいます。

感情や観念、「私」という自己意識による呪縛を解くことは出来ないのでしょうか。

そんなことはありません

苦しみから逃れることが出来ないければ、人間は救われせん。でも決してそんなことはありません。

周囲の人々を見回してみてください。

ひとり残らず苦しみの業火に焼かれているという訳ではないでしょう。なかには安穏とした人生を過ごしている人、慈愛に満ち溢れた心の持ち主だって、ちゃんと存在しています。

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