4-1.私の意識下にない「私」

脳は生命を存続させるために、「私」なる虚像を作り上げます。感情よる刺激を絶えず与え続け、観念が常に精神を支配し、私の”ような”像を意識の中に投影させ続けています。

自分自身の意志により考えたり、選択したり、行動しているつもりでいますが、そのように巧妙に信じ込ませ、その裏側では瞬間ごとの反射的な反応が動作し続けています。

そして、私のつもりでいる、自己意識の制御下にはない虚像が、物質である脳のエージェントとしてスクリーンに描き出されています。

生命維持システム

脳からは常に、怒りや喜び、悲しみや迷いなどの感情が生み出され続けます。

あたかも「私」という自我が、自律的にコントロールしているかのように見せかけながら、感情に基づく様々な観念が働き続けます。

それら感情や観念は自我を実体化させるための刺激となり、自分自身が存在するかのような錯覚を与え続けます。その影のようなモノこそが「私」という実態です。物ではなく、意識という抽象的イメージが「私」の正体です。

物質として存在するのは、脳、そして脳に統制される肉体のみです。意識とか私は、ただのイメージに過ぎません。

これは、極めて巧妙に仕組まれた生命維持システムです。脳は私という存在を意識させることで、能動的、かつ効果的に命を長らえさせ、種を残そうと企てているのです。

普通の感覚

私自身が観念を生み出し、思考したり、選択や判断をしていると、普通に信じ込んでいる感覚。

しかし、よくよく観察してみたとき、私が感じたり、考えたり、判断している余裕など一切ない事が分かります。

ほんの一瞬の時間に、「これから私は怒る」なんて決定できませんよね。快や不快などを判断している暇など全くありません。勝手に不快だと感じ、自動的に怒りの感情が動き出しているのではないでしょうか。

すべては瞬間的な脳の反射作用

生命を維持するための仕組みとして、脳の自然な営みの中で、様々な反射や反応が連続して、瞬間的に機能し続けています。

それらの反応は望ましい場合もあれば、そうでないこともあります。

欲望にしても、怒りにしても「私の意志」としてではなく、自然に発生している感覚です。たとえ不道徳なことでも、恥ずかしくて他人に言えないようなことでさえも、ありとあらゆる観念が絶え間なく浮かんでは消え、浮かんでは消え続けています。

あなたは自ら好んで苦しみの元凶ともなる怒りを選択していますか?苦しむために、迷ったり、悲しんだり、慢心したりしているのでしょうか?

ちょっと合点がいきませんよね・・・

記憶の作用

さて、私の意志としてではなく、勝手に発生する観念の源はどこにあるのでしょうか?

幼少のころから現在に至るまでに蓄積された記憶から観念は生まれてきます。

何も思い当たり事がないのに、「何となく不安」な感じがすることはありませんか?きっとそれは、今の状況と類似した記憶が潜在意識下に引き出されているからなのかもしれません。それが顕在意識として浮上してこないため、”なんとなく”理由がないのに不安感が漂うような感覚として感じているのでしょう。

感情のもとになる情報

何気ない、漠然とした感覚だけではなく、なんらかの具体的な刺激がきっかけで喜びや怒り、不安や悲しみ、迷いなどの感情が発生することもあります。脳に蓄えられた記憶が引き出されることで、これらの感情は動きます。

「業を積む」という仏教的な言葉があります。過去からの行いや経験が積み重なり、それが人格となって現れるといった意味です。「業」をカルマと呼ぶこともありますが、これは脳に蓄積された過去からの記憶を差します。

これまで生きてきたなかで、怒りや憎しみ、欲などのネガティブな記憶が積み重なった人ほど、悪業が深いと呼ばれることがあります。例えば、怒りに強く支配されてきた経験が多い人ほど、それにかかわる記憶が脳内に刻み込まれています。

良い行いにより人徳が高まる

過去に数多くの人を喜ばせてきたり、動植物を労ってきた経験が多い人ほど、優しさや愛情などに関連する記憶がたくさん蓄えられています。

そして、やさしさや愛情の記憶、慈愛の心が呼び覚まされやすくなり、それに応じた行動を取るものです。ことあるごとに、あたたかな観念が心を埋め尽くし、それに応じた行動を取る頻度が高まります。

心優しい人は、これまでに積んできた優しさに関する記憶がたっぷり蓄積されています。思いやりの心が根付いていると、思いやりに満ちた観念が心を埋め尽くします。すると、他人を思いやる行いがさらに増え、記憶にも積み上げられていくのです。

愛情いっぱいの人、人のために善行をなす人は、優しさが記憶の中にたっぷり詰まっているから、それが思考や行動となって現れ、更により良い方向へと導かれるという仕組みです。人徳が高まるとは、こういったことなのですね。

記憶の引出し

記憶というものは、引き出される頻度が高まるほど、それが観念となり出現しやすくなります。引き出される頻度に応じて、脳内の神経回路を電気信号が伝わりやすくなっていくのでしょう。

これが人格を形成する仕組みです。深い悲しみや強い怒りの観念に支配されやすいとしたら、その情報を引き出す脳神経回路を信号が通りやすくなっているからです。愛情に満ちた人も同様に、優しさに関する記憶がたくさん詰まっていて、それが引き出されやすくなっています。

記憶として蓄えられた情報は、潜在意識下に引き出され、それが観念として意識を支配します。そして、その意識が思考や行動へと移行していくのです。

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