「プライド」という言葉があります。プライドには色々な意味があり、解釈があると思います。
中学生の頃だと思いますが、学校の先生に自尊心を持つことの大切さを説かれたことがありました。自分自身を肯定的にとらえ、卑下することなく前向きに物事に取り組みましょう、といった内容だったと記憶しています。
ある意味正しい教えだったとは思いますが、しかしながら確固たる実力、例えば仕事に対する専門知識やスキルなどがなければ、あっけなく自尊心も自信も打ち砕かれてしまうことを、大人になるにつれ経験していくことも事実です。
あまりに自尊心が低く、心を強く持つことが出来ないのも困りますが、かといってプライドばかり高くても空回りしてしまうものです。過剰なプライドや自尊心は、中身の伴わないカラ元気だけで終わってしまうものです。
「プライド」とは
辞書を引いてみると、「プライドとは自分が他人より優れていると感じる意識や感覚のこと」とあり、プライドの類義語には自尊心や慢心という言葉が出てきます。
自分に自信をもつことができず、自己否定ばかりしていては、社会に適応することが難しくなるばかりではなく、鬱などの心の病に繋がってしまうこともあるでしょう。
かといって、プライド”だけ”が高いのも考え物です。他人の意見を受け入れず、やたらと自己主張ばかりする人っていますよね。このような人に対し、うかつに意見してしまうものなら、大変なことになってしまいます。
プライドとは類義語が示す通り、悪い意味では「慢心」です。慢心とは、例えば仏教的な解釈をすれば、怒りの感情の基となる煩悩に分類されます。慢心した心、虚栄心などを刺激されると、それが怒りとなって現れます。
「プライドが高い」ことの対義語は?
それでは、プライドや慢心の対義語を何か挙げるとすれば、どんな言葉が当てはまるでしょうか?
「プライドが高い」の反対の意味を現す言葉として、「謙虚さ」が挙げられると思います。
謙虚さとは、決して消極性とか、偉い人にゴマをすってへりくだるといった意味ではありません。控えめで慎ましいといったニュアンスも謙虚さには含まれていますが、プライドの高さに相対する場合の謙虚さとは別の意味を差します。
「謙虚さ」とは
謙虚さとは自分自身を謙遜することが出来る能力です。
過去の経験や実績、持っている知識に溺れず、他から学び取ろうとする姿勢を謙虚さと言います。
この場合の他とは、他人の場合もあれば、世の中の新しい変化、既成事実を覆すようなエビデンスなどを差します。
例え方が適切ではないかもしれませんが、年老いた人を老害と表現することがありますよね。過去の成功体験を唯一無二の観念と捉えてしまい、時代の新しい変化を否定してしまうと、もはや進歩は望めません。こうした人が組織のリーダーであれば、引く末は目に見えています。
「謙虚さ」がないと成功が遠ざかる
謙虚さがない、謙遜する能力がないことの弊害を具体的に示してみたいと思います。
・失敗から改善点を見出せない
・限界を突破できない
ここまでの内容で既に説明できているとは思いますが、自分自身を謙遜することが出来ず、謙虚さを持つことが出来なければ、客観的に物事を捉えることは出来ません。成功したのは自分のお陰、失敗したのは他人のせいとしてしまいます。これでは失敗から改善点を導き出すこともできないでしょう。
また、慢心に心が支配されていれば、正しく自分自身の限界を認識することも難しくなります。現時点の限界を突破するためには、出来ることと、出来ないことを正確に判別しなければなりません。
なぜ謙虚になれないのか、謙遜できないのか
どんなに頭脳明晰にな人でも、人生経験が豊かな人であっても、人間には少なからずバイアスというものがあります。
どうしても人には自我(エゴ)が付きまとうため、客観的に物事を捉えることが難しくなります。自分本位の感情や感性、考え方を持ってしまいます。このような偏った物事の見方をバイアスと言います。
そして、特に謙遜する能力に乏しい人ほど、このバイアスが強く働き、プライドに支配されています。もちろん、本人からすればバイアスと自覚することなく、自分の価値観を当たり前の常識と思い、判断したり行動しているのですが。
「謙虚さ」により得られること
「謙虚さ」ということばからは、なんとなく消極的なイメージを持ってしまう方もいるかもしれませんが、実は「謙虚さ」こそ成長と成功のための必須条件なのです。
まずは、「謙虚さ」により得られることは何か、結論からお示ししたいと思います。
・新しいことに対してオープンになれる
・自我を切り離すことができる
・自分の有限さを知ることが出来る
・自分の意見を変えることに躊躇しない
・他人の意見や考え方に敬意を払うことが出来る
上記の各項目について、もう少し詳しく説明してみましょう。
根拠や証拠に基づき客観的な事実を把握できる
自分の中の経験や知識、価値観が大切なのは言うまでもありません。しかしながら、これら既存の情報にだけ囚われてしまえば、当然ながらそこから先へ進むことが難しくなるのも事実です。
自分自身の外部に存在する知識や情報の程度を正確に認識するには、能動的な謙虚さが必要となります。
思い込みに左右されず、的確な判断が下せる状況であればこそ、自分の内外に存在する情報に対しての分析能力が高まります。謙虚さが備わっていれば、主観にだけ囚われず、根拠や証拠に基づいた客観的な事実を把握することが出来るようになります。
慢心せず、謙虚さを意識することで、バイアスに左右されず、極論や二元論に惑わされず、物事を中立的に判断できるようになります。
新しいことに対してオープンになれる
言わずもがなですが、過去の自分に固執してしまえば成長は望めません。
謙虚に他人から学ぶ姿勢があってこそ、新たな領域が見えてくるものです。
自我をきりはなすことができる
プライドが高いと自分自身の目線から離れることが出来なくなります。そして、エビデンスよりも主義主張を優先してしまいがちになります。
何かを得ようとするとき、判断するときには、いったん立ち止まり自分自身を一段高いところから俯瞰してみましょう。そのときに、謙虚さというスキルが備わっていれば、自我や我欲で曇った目線に気づくことが出来るはずです。
自分の有限さを知ることが出来る
特に謙虚さの重要性を理解する大切なポイントとして、自分自身の有限さや限界を知る、ということが挙げられます。
自分自身の現在のレベルが認識できていなければ、そこから如何にして成長すべきかを考えることが出来ません。それどころか、場合によっては、現状認識が甘かったために取り返しのつかない大きな失敗をしてしまうことだってあり得ます。
自分自身の有限さを知るとは、「自分はまだまだなんだ」と謙虚に現状認識が出来るという事に他なりません。限界を理解することは、「自分はダメなんだ」と卑下する事とは異なります。
出来る事と出来ない事を認識し、バイアスに支配されず過信せず、ありのままの自分を見つめ、現時点の限界を認めてこそ、無理せず限界を超えることが可能となります。
自分の意見を変えることに躊躇しない
プライドの高い人ほど、自分の意見や価値観に対する他からの意見に反発してしまいます。冷静に議論できず、他人から意見されたことを自分への攻撃と感じてしまうことさえあります。
まさに、プライドは慢心という煩悩である、ということの証明ですね。慢心は怒りを生み出し、その怒りで他人を攻撃してしまいます。
自分自身の知識や経験だけで是非論を展開してしまう様な傾向はありませんか?
過去のしがらみや成功体験に囚われず、他人の意見を受け入れることの出来る謙虚さは、成長や成功に必要不可欠な能力です。
謙虚さがあってこそ、客観的に物事を正しく理解し判断できるのです。
他人の意見や考え方に敬意を払うことが出来る
これについては、言葉通りでなので説明するまでもありませんよね。
謙虚でなければ他人の意見を受け入れることが出来ません。他人の意見を聞けない人は、いってみれば、それまでの人ということになります。
自分自身を伸ばすためには、謙虚に他人の意見を受け入れることが必要です。
「謙虚さ」を身に着けるための3つの方法(重要)
謙虚さ、自分自身を謙遜できる能力が如何に大切か、ということを理解していただけましたでしょうか。
自分自身を成長させ、目標を達成する、夢を実現させるるために必要不可欠な「謙虚さ」。最後の章として、その「謙虚さ」を如何にして身につけたらいいのか、具体的な方法をお伝えさせていただきます。
自我(エゴ)を切り離す
我(エゴ)を切り離すとは、自分自身の中にある知識やこれまでの経験、考え方、さらに言えば記憶そのものに固執しないという事です。
自我、エゴを切り離すためには、いくつかの心掛けが必要です。
自我を切りななすためには、意図的に批判的な意見を受け入れる
あえて、自分と正反対の意見を持った人と話す機会を見つけましょう。そして、自分の持論や主張に対し、意見をしてくれることを有難いと認識し受け入れます。
慣れないうちは、反射的な態度をとってしまうかもしれません。つい反論したくなってしまったり、心のなかに怒りに似た感情が沸き出てしまうかもしれません。
そうした反射的に動いてしまう感情をぐっとこらえて、相手の意見に耳を傾けます。そして、いま相手が話してくれている内容は、自分に対する攻撃ではない、個人を否定しようとしているのではないと理解しましょう。
自分への攻撃ではないということを理解し、もやもやとした感情が湧き出てきたとしてもスルーできるようになるまで、繰り返しトレーニングしましょう。
自我を切りななすためには、自分への批判も受け入れてみる
他人からの意見に反射的に反応しないようになってきたら、今度は他人からの厳しめの批判も、あえて受け入れてみましょう。批判ですから、ある程度攻撃的な内容も相手の言葉の中に含まれているかもしれません。
そのときに、自分自身がどう変化しているかを観察します。感情はどのように動いたのか、肉体的に反応した部分があるか、といったことを自覚できるように訓練します。
例えば、その場から逃げ出したいと思ったのか、または相手を反撃したいといった怒りが心を支配したのか、心の動きを観察します。
そして、感情だけではなく、肉体的な変化もチェックしてみましょう。心臓の動悸が高まったとか、掌が汗ばんだ、体が熱くなった、呼吸が速まったなどです。
他人から批判されることで、どんな反射が自分自身に起こりやすいのかを理解できてくるに従い、心や体の反射反応の程度が次第におさまってくるものです。
自我を切りななすためには、自分の意見を他人に伝える
自我(エゴ)を切り離す練習として、相手の意見を受け入れることだけではなく、自分が意見するようなケースも想定しましょう。
誰かに自分自身の意見を伝えようとするときは、感情を乗せず事実だけを述べるように心がけます。感情が伴わないようにするためには、根拠を明確にすることが必要となります。
自我を切りななすためには、謙虚に意見する
自分自身の意見を口にする際に大切なことが、もうひとつあります。
感情を排除し、確かなエビデンスをもって意見したとしても、相手がそれを攻撃と受け止めてしまう可能性もあり得ます。
そうならないようにするためには、出来るだけ穏やかで優しい伝え方が大切です。そして、自分自身の組織的、あるいは役職的な権威などを引き合いに出さないことも必要です。お互いの立ち位置を織り交ぜてしまえば、純粋な議論とはならず、相手にストレスを与えてしまいます。
また、成果や功績は自分で独り占めせず、達成できたのは周囲人たちのお陰という意識を持ちつつ会話を進めるのも、自我を切り離すために大事なことです。
自信過剰を防ぐ
謙虚さを身に着けるための心がけ、2つめは自信過剰を防ぐという事です。
何度も言う通り、人間には「自分は平均以上だ、他人より優れている」といったバイアスがあるものです。こうしたバイアスに支配されてはいないかを常に確認し続けることが大切です。
自分を実力以上に評価してしまえば努力しなくなるものです。努力を継続するためには、バイアスに気づき、謙虚に自分自身を顧みることが必要です。
また、自信過剰に陥らず、自分自身を見つめることが出来れば、失敗してしまったときも、過ちを素直に認め、改善につなげていくことが出来ます。
他人の意見を尊重する
謙虚さを身に着けるための3つめの心掛けは、他人の意見を尊重するという事です。
自分の意見と異なる意見を持つ人がいた場合、意識して批判しないようにしましょう。もちろん、意見が合わないのであれば、同調する必要はありません。同調しないまでも批判しないという考え方が大切です。
最初は苦痛かもしれませんが、あえて異なる意見を持つ人と接する機会を増やし、会話の中で相手の意見をフォローできるよう訓練しましょう。「自分の意見とは違うが、あなたの意見のこんなところが素晴らしい」といった具合に、相手の良いところを見つけてあげる練習です。
自分の意見と相手の意見を分けて考えつつ、相手の良いところを見つけてあげることが、プライドや慢心から離れるコツです。
自分の立場や意見を柔軟に変えてみる
自分自身を柔軟に変化させることが出来るということが、謙虚さを獲得するための最後の心掛けです。
自分の立場や意見に執着せず、柔軟に変化できるということは最も難しい課題です。なぜなら、見栄やプライド、慢心が心から消滅してくれなければ、どうしても自我の囚われから離脱することが出来ないからです。
でも、想像してみてください。ちっぽけな自分が、世の中のあらゆることより優れているなんてことは、あり得ないのです。にもかかわらず、ほとんどの人は感情に流され、狭い範囲で自身の意見を主張してしまいます。自我の囚われから抜け出せずにいます。
これでは到底、真の成長や成功は望めません。自分が信じていたことが真実ではなかった、なんていうことは、実際には多くの場面で発生しています。現実を的確にとらえ、自分自身を変えるためのポイントは以下の通りです。
・意見の異なる相手との妥協点を見出す
・新たな考え方に出会ったら、素直に受け入れ勉強してみる
・新たな考え方を鵜呑みにせず、自分を変えるだけの根拠があるか確認する
長々と書いてしまいましたが、自分の殻に閉じこもらずに、変化を受け入れることの大切さを理解していただけましたでしょうか。
謙遜することは成長するための能力であり、謙虚さは成功するために必要なスキルです。何かを判断したり、行動するようなときに思い出してみてください。