2-2.生存本能

人間の脳は、観念を利用して、どう生き永らえてきたのでしょうか。そして、「私」という自己意識と観念は、具体的にどのように関連しているのでしょうか。

この疑問を解き明かすことに、苦しみから解放されるヒントが隠されています。

苦しみを減らし、平穏な日々の流れに乗るために、歩むべき道について探ってまいりましょう。

生存本能と「私」

なぜ、心のなかに絶えず、観念が生み出され続けるのでしょうか。心を無にしようと思っても、修行を積んだ高僧でもない限り、何かしらの観念が浮かんできます。

この観念の存在意義とは、いかなるものなのでしょうか。

生命の存続と、種の保存が脳に課せられた使命といえます。そのための手段として、五臓六腑を機能させ、喜怒哀楽の感情により、脳は「私」を支配します。

心と体は複雑に絡み合い、調和を保ちながら、「私」という一つの生命は統制されています。これが生存本能というものであり、その生存本能を主るのが脳の役割です。

そして、食欲や性欲、睡眠欲など、生きるために必要な基本的欲求は、感情や観念により表現されています。

人間以外の動物であれば、例えば肉食獣を例にすると、獲物を捕らえ食欲を満たすために、攻撃的になり、目の前の相手を倒そうとします。このような場合には、「怒り」と「欲」に火が付きます。

ひるまず果敢に相手を倒そうとする怒り、食べたいという欲が、強い精神エネルギーと化し、それが獲物を獲得するための行動へとつながるのです。

こうした精神エネルギーなくしては、相手に威圧され、恐怖感で戦うことなど出来なくなります。敵を倒し、食べ物を獲得するために、感情の力が必要となるのです。

また、相手が自分より強いと気づけば、瞬時に逃避行動に移行します。最初に不快という情動が沸き上がり、次いで過去の経験に基づく記憶から、怖いというような感情が発せられます。心臓は強く拍動し、血管は収縮し、血圧が上昇します。そして、ノルアドレナリンが全身を駆け巡り、一目散に逃げだします。命を守るため、眼前の危険な状態から一刻も早く離れるために、恐怖感に促された逃避行動をとるのです。

脳は心と体を観念により統制する

厳しい自然環境を生き抜くため、脳は肉体のみならず、精神の統制を効果的におこなっています。

外界からの情報が刺激となり、快または不快といった単純な情動が瞬時に働き、それが喜怒哀楽いずれかの感情に発展します。人間の場合であれば、さらに複雑な観念を抱き、最終的な行動へとつながるのです。

観念は思考や行動に対する意味付けを行い、「私」という主人公が、意識として、それを自覚するのです。

観念は巧妙に仕組まれた生存プログラム

肉体は物質です。しかし、その肉体が行動を起こすためのエネルギーとなる観念には、形が存在しません。

精神エネルギーという側面を持たなくとも、生命を維持している、ミジンコのような生物も数多く存在します。生命維持と、種の存続をシンプルに考えれば、体という物理的な機能だけでも十分です。

しかしながら、この精神エネルギーであるところの観念こそが、巧妙に仕組まれた、人間としての生存プログラムなのです。

極寒の地であっても、高温多湿の熱帯雨林であっても、過酷な自然環境のなかを、人間は生き延びてきました。あるいはまた、人間よりも大きくて、強い生き物が数多く存在するなかにあっても、それに負けずに人間は今日まで生存し続けてきました。

なぜでしょうか。このような複雑で、多種多様な環境に対して、人間の肉体に、優位に機能するほどの特徴があるわけではありません。

人類に生き延びる力を与えてきた最大の要因は、観念という精神エネルギーです。

観念は、「私」という架空の主人公を、心に投影させるための刺激となります。そして、瞬時に沸き起こり、行動するための機動力となるのが観念です。

観念には「私」が必要

観念の生命維持プログラムを、効果的に機能させるためには、その主人公を存在させることが、有効な手段となります。

肉体と感情の組み合わせだけで生きている動物も、数多く存在します。しかし、肉体に感情を持たせたところで、まだまだ、それだけでは十分ではありません。他の動物と異なり、人間の場合は、そこに「私」という主人公を加えることで、より効果的に生存の仕組みを機能させてきたのです。

観念には主人公が必要

人間の脳は、「私」という主人公を創り上げるという、独特の進化を遂げてきました。

プライド、主義主張、そして意見は、「私」がいるからこその観念です。犬にも猫にも、馬にも、牛にも、このような「私」は存在しません。

「私」を内在させ、「私」という存在を主張することで、効果的に、強力に肉体を統制してきたのが、人間の脳なのです。

「私」とは、心のスクリーンに投影された虚像

手や足を動かしたとき、それを行っているのは「私」であるということに、疑いを持つ人はいません。しかし、この瞬間に、私とは実体であり、実在すると錯覚しているのです。

走っているときに、足自体を「私」と思うことはないでしょう。私とは足を動かしている主人公である、というのが、一般的な認識ではないでしょうか。

では、その「私」はどこにありますか?

走っているときの足のように、腰につながっているものでしょうか?ペンを持っている指先のように、目の前に存在するでしょうか?これが脳が仕組んだトリックなのです。

脳は肉体の一部であり、物理的な存在です。その脳が、自己意識を形成し、その存在を実体化させようとして、「私」という概念を作り出しているのです。

観念の主である「私」とは、実は脳が投影したイメージに過ぎません。

「私」が実体として存在しているように錯覚させるために、快・不快の情動、喜怒哀楽の感情、そして情動や感情、行動に意味付けするための観念を作用させているのです。

この章の冒頭で、苦しみから解放されるヒント、ということを述べました。それは、

「私」は実体として存在しないということを認識する事です。

如何にして平穏な日々を過ごしていけるのかについて、このヒントをもとに、さらに書き綴っていきたいと思います。


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