4-2.言葉の性質

人間のみならず、動物には記憶という機能があります。過去の経験は記憶として蓄えられます。

そして、目や耳、鼻などの感覚器からの刺激に応じて、関連する記憶が引き出され、食べ物を欲したり、敵を威嚇したり逃げたり、性行為などの行動に繋げます。

言葉のない情報

言葉が利用できないと、記憶として蓄えられた情報は、音や映像、手触りなどの感覚として記憶に残ります。記憶には残りますが、その情報を意味付けしたり、差し替えたり、情報同士を結合したりなどといったことは出来ません。

人間以外の動物は、見たものは見たままに、聞いた音は聞いた通りに、においは嗅いだ感覚として脳内に残ります。

それに対し、人間は言葉を使うことが出来ます。言葉の存在が文明の発展に大きく寄与してきたことについては、疑う余地がありません。言葉を起点として、人間社会が成り立っています。

でももし、人間から言葉を取り上げてしまったら、どうなってしまうでしょうか?

言葉がなければ、何かを想像したり、考えたり、判断したり、選択する事が困難になってしまうでしょう。私たちの生活から言葉を切り離すことは出来ません。人間にとって、なくてはならない存在が言葉です。

言葉が情報になっている

情報は言葉により理解され、言葉により組み立てられ、言葉によって定義されます。

言葉による恩恵は計り知れないものといえますが、その一方で言葉のもたらすマイナス面も理解しておいた方がいいでしょう。

本当はリアルな現実が目の前に広がっているのに、私たちはその都度言葉に変換します。触れた情報をダイレクトに受け入れるのことをせず、言葉の変換を無自覚に受け入れています。

でも、全ての出来事を言葉は、あるがままに表現している訳ではありません

言葉とは過去の記憶

言葉とは、過去の情報を基に今現在の出来事を抽象化する性質を持っています。

言葉を用いるという事は、「いま・ここ」のリアルな世界を過去のデータにより表現するということです。

何かを言葉により表現するとは、言葉による置換えであり、脳内に蓄えられている過去の情報に変換する行為です。

「いま・ここ」を真実として捉えているつもりでも、言葉を使った瞬間、真実はリアリティを失ってしまいます。過去の経験が言葉であり、その適用範囲内で現実を言葉が置換えてしまいます。

真実を捉えている”つもり”にさせるのが言葉の特性といえるでしょう。

テレビの食レポ番組で、レポーターは料理の味わいを伝えようとしてくれます。でも、レポーターの表現は、食べた実感を言葉により抽象化しているに過ぎません。それを見聞きしている私たちも、レポーターからの言葉を自分の脳内情報に照らし合わせ、更に変換しています。

このように、言葉による情報の置き換えは、真実をバケツリレーのように各自の脳内情報として変換していきます。

「美味しい」はどんな味わいなのか

言葉による理解は、「いま・ここ」のリアリティとは異質なものです。

何かを食べたとき、過去に食べた同じような食べ物との比較が脳内で行われます。「味が濃い」、「焼き具合がちょうどいい」といった感じ方は、蓄積された脳内の情報との対比に過ぎません。

いま口の中で反芻している素材そのものを、どのように咀嚼し、触感を舌で感じ、味蕾で味わっているリアルさを言葉で表現することは不可能です。表現するためには、どうしても記憶された経験との対比が必要になります。

「美味しい」も「不味い」も、比較する対象があって初めて成り立つ言葉です。「塩辛い」、「甘い」、「出汁が効いている」などといった言葉への変換は、リアルな味わいとは異なる行為といえるでしょう。

観念の世界と現実

言葉による世界は、脳が作り出す観念の世界に他なりません。脳には過去の情報しかありませんから、言葉による表現とは過去への置き換え、という事になると思いませんか?

観念へと変換された現実世界は、自分の記憶という狭い世界に押し込められた錯覚の世界なのかもしれません。

味覚も触覚も、聴覚も視覚も、言葉の修飾を受けた瞬間、過去へと置き換えられてしまいます。

日々の生活において、あらゆる事象や行為は言葉となり、私たちの脳内に展開されます。言葉にするとは、記憶を引き出し、そこにある情報を再構成しているということです。言葉にする行為は、目の前の現実を過去データーにより平均化するという事です。

つまり、「いま・ここ」から離れ、過去に迷い込んでしまうのが言葉を用いることの弊害です。心は常に過去を彷徨い続けているのです。

もし仮に人間から言葉を取り上げられてしまったら、どうなってしまうのでしょうか?。経験への変換が行われない、つまり経験したことのない世界観が脳内に展開される感覚に、なぜか私は憧れてしまいます。

言葉の修飾を受けることのない、混沌とした時空がいまここに存在しているはずです。

それでも人間は言葉と共に生きる存在

なんだかんだと理屈をこね回してみたところで、人間から言葉を切り離すことは出来ません。でも、私たちの心や感情や思考、そして行動が言葉により強力に支配されている、といった事実も理解しておいた方がいいと思います。

記憶の中の情報を言葉により具現化し、あたかもそこに現実世界が存在するがごとく振る舞い続ける観念。その正体を暴くことが出来れば、「私」という見せかけの存在を乗り越える手掛かりがつかめるのかもしれません。

言葉は「私」という虚像を観念の深みへと引きづりこみ、その中で「私」を具現化させています。

なんのために?人間の脳のためです。

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