3-2.煩悩

欲望や迷い、怒りや不安、それらを解消したいがために、更に欲し、迷い、誰かを恨み、怒りをぶつけ、慢心し、また迷います。

人は百八つの煩悩に支配されているなどといわれます。

煩悩とは私たちを苦しめる根源でもあり、同時に私たちを駆り立てる衝動エネルギーであるようにも思えます。

脳から見た煩悩

ネガティブなイメージの強い煩悩ですが、これを生み出しているのは脳に他なりません。

そして、脳は神秘的なものでも、スピリチュアルものでもなく、自然に存在する物質です。そうであるならば、煩悩を生み出している脳から見た場合、迷いも、慢心も、怒りも、欲望も、それら全てはネガティブなものでも、ポジティブなものでも無い、単なる反応に過ぎないのではないでしょうか。

脳そのものには、元来、常識や社会的な基準値のようなものは存在しないのです。そこにあるのは、種を保存したいという生存本能のみではないでしょうか。

人間の価値観

人は成長に伴い、数々の経験をして、様々なことを考え、判断し、また社会的なルールを学習し、道徳観を身に着けていきます。

人間ひとりひとりの価値観は、育った環境や経験により異なります。そして、仮に同じ環境で育ち、似たような経験を積んだとしても、脳の持つ個体差により価値観も異なるものになるでしょう。

普段私たちは、自分の持つ価値基準を信頼し、それに沿った選択や判断をしているつもりになっていると思います。ある意味、自分自身の基準値ですね。

無意識のうちに絶対基準のように捉えている価値観と煩悩は、どちらが優位に働くのでしょうか?

記憶の引出し

社会のルールを守るとか、正しい道徳観に従い行動するという自覚がある中で、それらが情報として記憶という書棚から引き出されるのは思考の最終段階のタイミングです。

記憶の引出しから、最も早く取り出されるのは煩悩であり、それが思考の初期段階で支配的な立場を持ちます。

煩悩とはまさに、人間の生存本能に根差した機能なのです。

例えば、時代により、または住んでいる国などにより、文化も異なれば、道徳観や社会的な判断基準などは異なります。

しかしながら、煩悩と呼ばれる感情は、時代も地域も、人種も問わず、すべての人間に備わっている機能です。

動物としての人間

動物としての原始的な脳の領域が煩悩を主ります。後天的に得た個々人の価値観が記憶から引き出される以前に、煩悩と呼ばれる様々な感情が発動されます。

そして、感情のなかでも特に煩悩に分類される類は、「私」という幻覚を実体化させるための刺激として機能しているのです。

煩悩

煩悩とは「欲」、「慢心」、「怒り」、「迷い」の感情に大別されます。

なんらかの外的、内的な変化に対し、煩悩は反射的に発動されます。そして、それら感情の動きをトリガーとして、思考、判断、行動などが導き出されるのです。

人間が機械ではなく動物であり限り、感情は動き続け、特に煩悩が強く作用し、「私」を存在づけています。

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